どちらも大切で、無いと茶は出来ません。
では、点前を客に見せるために茶をするのか? 道具を見せる(自慢する)ために茶をするのか?
私の茶は、其処へは行きたくないと確信しました。
一服の茶を美味しくいただいて欲しい。
その一言に尽きます。
いままでも理屈ではそう思ってきましたが、これがなかなか難しい。だから深くて面白い。
今まで、しでかしてきたことが、自分の引き出しには、そこそこ入ってます。
必要なものを必要なときに身につけてきたり、面倒くさくってやらなかったりです。それ以上に、要らんもんも入ってます。そして要らんもん同志が、ここへきて頭の中でネットワークを張り巡らしてきたようです。
人生あと半分、もうそろそろどう生きるかを、あれこれ考えてみるのも面白いような気がします。
茶をするのに理由があるならば、それは作法や技術を習得する為ではなく、自分自身に生き方を問う為のものだと思います。